テレビのニュースなどでお祭りの映像をたくさん見ますが、最もインパクトのあるお祭りの一つといえば、岸和田のだんじり祭りではないでしょうか?
この岸和田のだんじり祭りとはどういったお祭りなのでしょうか?
歴史・由来や特徴についてみてみましょう!
岸和田だんじり祭とは?
岸和田だんじり祭は、大阪府の岸和田市周辺で行われるお祭りで、毎年9月と10月の2回開催されます。9月に行われる「9月祭礼」と10月に行われる「10月祭礼」になります。
どちらも岸和田だんじり祭ですが、開催される地区が違います。岸和田市の海側の地域が中心となる浜手の「9月祭礼」、山側の地域が中心となる山手の「10月祭礼」です。
宵宮を本宮あわせて約50万人もの見物客が訪れます。
だんじりとは祭礼に奉納される山車(だし)の呼び方です。各地域の町会でだんじりを所有していて曳行(えいこう:引っ張って進む)します。
その町会ごとに組織が組まれていて、町会中で、「世話人」、「若頭」、「組」、「青年団」、「少年団」などに分かれています。
テレビのニュース映像でだんじりの屋根で団扇を持って舞っているのは「大工方」(だいくがた)といってほとんどの場合「組」のメンバーです。
岸和田だんじり祭の日程は、
「9月祭礼」
敬老の日の直前の土・日で、土曜日が宵宮、日曜日が本宮
「10月祭礼」
体育の日直前の土・日で、土曜日が宵宮、日曜日が本宮
になります。
岸和田だんじり祭の歴史・由来について
岸和田だんじり祭は元禄16年(1703年)岸和田藩主の岡部長泰(おかべながやす)公が、「米」、「麦」、「豆」、「あわ」、「ひえ」など五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭から始まったといわれています。
元禄16年といえば、ほとんど忠臣蔵と同じくらいの時期、歴史を感じますね。
また、別の説としては、1745年(延享2年)に、茶屋新右衛門が大坂の祭をみて、夏祭に提灯を掲げたいと藩主に願い出たものが始まりという話もあります。
祭礼は年に3回行われていたようですが、旧暦の8月の1回になったようです。この旧暦の8月に行われていたものが、明治に入り、現在の暦にかわり9月の開催となりました。
岸和田だんじり祭の特徴
岸和田だんじり祭の醍醐味は、やはりなんといっても「やりまわし」ではないでしょうか。「やりまわし」とは、勢いよく進んでいるだんじりが、勢いをそのままに街角を直角に曲がり方向転換させることで、テレビでもよく見るシーンです。
ブレーキのテコと、かじのテコを絶妙に操り、大工型(だいくがた)の合図で勢いよく角を曲がっていく姿は圧巻です!
それぞれの役割をタイミングよく行わなければならず、全員の息が合うことが求められます。
岸和田だんじり祭で有名なポイントの一つは「カンカン場」と呼ばれる大阪臨海線の「岸和田港」交差点です。各町のだんじりが駆け抜け、だんじりのやりまわしを見ることができる有料席も設置されるほどの絶好のポイントです。
また、岸和田市役所前では、岸城神社に宮入するだんじりが「こなから坂」を駆け上がり豪快なやりまわしを行うのも見どころの一つです。
また、紀州街道には、道幅が狭いために「やりまわし」の見せ場があり、テレビのニュースなどの映像でも取り上げらています。
岸和田のだんじり祭では、だんじり自体にも特徴があります。だんじりは欅で作られていて、いたるところに人物や馬などの様々な彫物があります。
また、「灯入れ曳行」(ひいれえいこう)といって宵宮、本宮の夜、提灯にだんじりが照らされ、曳行されます。昼間のダイナミックな様子とは全く違うじっくり見て楽しめる一面もあります。
まとめ
日本のお祭のなかでも、かなりインパクトのある岸和田だんじり祭。ものすごいダイナミックな昼間と、静かな一面を見せる夜。
だんじり自体の欅の彫物のすばらしさ。岸和田だんじり祭は様々な面で楽しめるお祭りです!